昭和40年07月26日 夜の御理解



 大坪総一郎の姓名学,人相学「才量全身に満ち、富貴繁栄を子孫永遠に残す。吉運数なり」
 2、3日前でした。北野の秋山さんが、こうして毎日お日参りをされますが{先生、もう今日は恐れ入ってしまいました}と言うてから、あの言われる。何がそれで得られたかと言うと、今度あちらあの初孫さんができられたんですね、島野さんです。ほんであちらのお名前を神様から頂いてつけられた。その取り上げる産婆さんが北野で大変有名な古賀さんという産婆さんです。
 この方はもう必ず自分が取り上げたら、必ず自分が名前をつけてやるもんの様に思うておられる。だから非常にその姓名学にも明るい訳ですね。ですからもう秋山さんもう自分の趣味やら好みやらだけでの名前どんつけどんしなさんな、名前は大切な事じゃから名前はちょっとそのまあ名前のひとつの何ちゅうですかね、学問があるでしょう姓名学というのが。それでつけばいかんばのちゅってからそのまあ教えられたそうです。
 まあ私のはもうどの子も、もう椛目の親先生につけて頂きよるんです。はあその椛目の先生は名前まで付けよってなさってすかちゅってから、姓名学やらは研究してなさるじゃろうかちゅってから、先生その姓名学やらは、研究しちゃないでしょうけど、神様から頂いてから付けて下さるとですよちゅって、と言うてその自分方のあの、光幸さんやら、誠治さんやら、今度比佐世さんですかね、名前。「島野比佐世」と。
 ほうそげなこってすか、親先生は名前まで付けてよりなさってすかちゅってその、姓名学の本を出してですね、秋山光幸、秋山誠治というその、あれを調べなさったそうです。ところがその「光幸」とかその「誠治」とかというのは、もう秋山でなからなければならんように素晴らしい、その画数っていうですか、そのぴったしした名前だそうですね。もう驚いてしもうてから、これはとても私どんでんこげなふうなそんな考え付きは出来んというて、その言われたと言うんです。
 そんでそのまあ、まあ念のためっちゅうとおかしいけども、椛目の親先生はどげなふうじゃろうかちゅって、何ち言いなさるですかっちゅったら、大坪総一郎って言われます。したらこの先生、調べなさったそうです。ね。そしたら「秋山さん、もう私もそうにゃ名前を付けてきて勉強もしたばってん、こげな名前に行き当たったのは初めて」っち言わしゃったそうです。
 もう何ページかにですね、もうここは全然他の人達には用のなかちゅって(笑)、一番最高のことが書いてある、そこに匹敵するっちゅう。大坪総一郎というその名前が。こういうふうに書いてあるそうです、それをあの要約いたしますとですね、書いてきてあるです。「才量全身に満ち」才量というのは才覚の才ですね。もう才能がある才です。量は沢山という意味です。「才量全身に満ち、富貴繁栄を子孫永遠に残す。吉運数なり」とこう仰る。吉運数、良い運数だということ。
 もう私は先生そろって、もう自分の子供やら孫達の名前も素晴らしいと言われる以上に、まあ驚きでございましたちゅってから、感激して話すんですね。なるほど神様、親先生がこういうふうな事になっておいででなければならないというのはです、前々からちゃんとこうやって出来ているんだとこういうわけです。素晴らしいでしょう。「才量全身に満ち、富貴繁栄子孫永遠に残す」と。吉運数そういう吉運数だとこう言う事。「子孫永遠に残す吉運数」というのが素晴らしいじゃないですか。
 私一代じゃなくて、この子孫永遠ですね、その徳を残して行く事が出来ると言う事。そんならです大坪という人は、世間には沢山あるのですよ。ね。ですからその大坪という人が皆総一郎とつけたら、そういう素晴らしい事になるかと言う事をひとつ考えてみなければいけないと思うですね。例えばあの光昭なんかは丁度私が、親先生と御本部参拝する朝、出産のおかげを頂きましたから。
 そのことを金光様にお届けさして頂いたら、金光様は丁度この半分くらいの、日本紙にですね、大坪光昭とお書き下げ下さった。それに「につあき」というてお名前つけて下さった。「光」というのは「ひかり」「昭」というのはこの頃から分からせて頂くに、もう素晴らしい字なんですねあれは「あき」と「昭和」の「昭」という字。ですからなら光昭が、しかも三代金光様からつけて頂いたお名前だから、素晴らしい成功して素晴らしい偉い人になって、素晴らしいお徳を受けると限ってはいないと言う事です。ね。
 例えば金光様のお許しを頂いて、金光様からこの結婚は間違いないと言われた人がです、私は先月行きました教会の、所で聞かせて頂いた話ですけれども、金光様から頂いたことだからと言うて、よいということだけじゃないということ。飯塚の近所の教会なんですよね。それがもうそのお母さんと、折り合いが悪くてですね、とうとうその金光もうそうにゃ、金光様からお許し頂いたっちゃけんちゅってから。
 引っ張りなさったげなばってん、もう、それでもう、打ち切るようにしてから、出て行かっしゃったっち。子供さんまであるとに。だからあながち金光様からね、頂いたお名前が、ただ良いというのじゃない。ね。ですからこう言う様な事も確かにある。ないとは思われないですね。姓名学とか。これは私があのもう10年も前、久留米の光橋先生がおる時分に、福岡のお祭りを仕えた時に、それこそあの一杯機嫌で、あの今の岩田屋の近所をまい、そのちょうど久留米駅の急行がまあ1時間あるっちゅうわけです。
 それであの辺をブラブラ歩いておったら、丁度あそこの暗がりの所にですね、あの易学の人相骨相を見る人が座ってるんですよ。そして冷やかしてみろうかと言うてから、その先生方があの見てもらったんですね。その時なんかはやっぱ私の人相をこうやって見よるましたらですね、秋永先生と光橋先生と、そしたらもうもう見もせんで私の顔ばっかり見てですねもう私も長年こげな、そのお商売をしとるけれども初めてだと。
 そん時もそげん言いました。もう丁度こげな厚い本ば半ページばっかり、ここをずっと読んで下さい。あなことが全部書いてありますから、ちゅってから言わっしゃるくらいでした。いやああなたそがん自分で読まんにゃんごたんなら、私は頼みやせんですよっち。もうそれはもう良い、素晴らしいこと。とにかく第一に言われる事がですね、お宅にはね、八百万の神々様が、集まっておられますよと言われました、ね。
 もうどうもこうも言いようがありませんて、私はあなたのような人相と骨相の人には今までめぐり合うたことがないちゅってから、言われるけんで、秋永先生やら、光橋先生やらも本当にびっくりして、それがそれを裏付けするようにですね、ちょうどあの、秋永先生が夫婦間に、トラブルがある時代でしたが、そのことを言いましたですね、秋永友良というその、姓名学やら骨相から言うて、あなたは今、夫婦の間にトラブルがあるですねということを言うた。
 この光橋先生なんかにはですね、あなたこの方とお友達ですかちゅって、はいちゅって言いよりました。んならこの方の言わっしゃる通り、あなたしていきさえすりゃ間違いないですよちゅって、私あの当時に、光橋先生、私に任せんなんなさいって、私がそうにゃ言いよった時代です。でなかったら、あなたはね、今はどうか知らんけれども、橋の下に寝ならければならない運命にあるっち言いました。うん。
 だからそのこと、うん、まあそんな意味のことでしたですからね、言うならば。うん。そう、だからそう言う様な事をです、あながち私はこの嘘と思われないけれども、そんならば姓名学なら姓名学に没頭、研究してです素晴らしいその姓名学、なら大坪という人がもう全部、家の子供達にもみんな大坪総一郎ちゅう名をつけたらそれで良かろうごたるです。ね。だからその長男だけではですたい、例えば2世大坪総一郎、あの歌舞伎役者のごたるですね、2世大坪総一郎、3世大坪総一郎ということもいいですよね。
 けれども、他の子供達まで総一郎とつけるわけにはいかん。どんなに素晴らしかっても、ね。ですから、なら私の、例えば50何年間の生涯というものを、皆さんがやっぱ思うてみて下さらなきゃいけないということです。ね。様々なことがあったんです、良いことばっかじゃないです。もうそれはもう良いことも悪いことも商売でもしておれば、随分人を騙しもすれば駆け引きもしとる、ね。
 様々なことがあっておる中にです、けれども、いつの場合でも信心を元にしておったということです、私の場合。いつも神様を外していなかったということなんです。子供の頃、小さい時から、ね。そしてまあ長ずるにしたがって、様々な難儀な問題が起こったんですけれども、その難儀な問題の一つ一つをです、御神意のままに、私が動いてきたということ。そういう、例えば幸せへの道を神様はいつも私に指示して下さる。
 教祖の御教え教祖が私を助けて下さった。教祖は私にそういう道を歩かせて頂く教えを、度々いつの場合でもはっきり明示して下さった。ですからそういう場合そこを泣き泣きでもそこを辛抱した。そして現在にいたっておる現在この程度でもおかげを頂いておるから、この例えば「才量全身に満ち、富貴繁栄子孫永遠に残す吉運数」と言う様な素晴らしい言葉がです、ある意味合いにおいてぴったりするだけでしょうが、ね。
 どんなに金光様、三代金光様から、大坪光昭というお名前を頂いておるのであるから、ね、どのように素晴らしいことだろうかと言うけれども、その自覚に立たして頂いた、それだけの修行が成されなければ。私ちょうど今日光昭が奉仕しておる時に、家内にこれは言うてもしてやりませんもん。私のここがですね、もうご承知ご覧のように、もう座った途端にですね、ずうっともう全身汗になるです、ここは。
 どんなに薄いもの着とっても。ここはそんなに熱いです、ここは嘘じゃないです、ね。一歩ここに出たら、風がなんとはなしにあるけど、ここだけはです座った途端に言わば室(むろ)の中に入るような感じです。そういう中にその光昭が普通の白衣にその上から冬の羽織を着ております。夕方の暑い時に家内に私はそのことを、「お前ばっかりはいくら言うたっちゃしてやらんね」と、「なして、薄い物つけてやらんか」と。と言うた途端にですね、今私お話しました様な事のヒントを頂くんです、そこで。
 ははあしてみるとです、光昭にはああいう修行をさせたがよいと言う事になったわけなんです(笑)。ね。だからそん時によっぽど私は家内に、もう明日からはあの開襟シャツどんぱっとさせてから、そのかわり下の段に座らせるようにせろと。で小机を持って来てから、ここでそのお書物でも見せて頂けばいいから、下の段で夏の間だけ奉仕せろと、こう言いたいと思ったんですけれども。
 そのことを頂いてから、なるほどその修行こそがです、大坪光昭を大坪光昭たらしめる修行がです、例えば十、少年時代から出来ていきよることが私は素晴らしいとこう思うたんです、ね。頭がいいとか賢いとかと、といったようなことでは幸せにはなれない。そんなら名前だけ素晴らしい名前を付ければ幸せになるかと言うと、それもあながちそうじゃあないと私はそう思うです。
 そんでん、なら全然ないわけじゃないでしょうけれども、ね、例えば私を見た、言わばこの、姓名学のお産婆さんやら、福岡で私を見たその易学の何何という先生やらがですたい、一致しておるところを見るとですね。なるほど合点ができるけれども。それだけでじゃない、それだけのおかげを頂かれ、徳を受けさして頂くためにはです、過去50年間の私の歩いて来た道というものが、ものを言うのじゃないかというふうに思うですね。
   おかげを頂かにゃいけません。